渓流シーズンも幕を閉じ、リールのメンテ、ラインの交換が終わり、ロッドを拭きながら僕のフライ遍歴を振り返ってみる。
いつの間にかフライロッドも5本。
その一本一本に様々な思い出が刻まれている。
僕がフライフィッシングを始めるきっかけは、恥ずかしながら映画「リバーランズスルーイット」
若々しいブラッドピットの出演作として、当時おすぎがキャーキャー騒いでいたのを思い出す(笑)
でも僕は映画の中のモンタナの川の流れと、神のリズムと例えられたフライフィッシングに魅せられてしまった。20年前の出来事だ。
けどビンボー学生だった当時、フライの道具を買い揃えるだけの余裕は無く、取り敢えず新宿の上州屋へ行き、オモチャみたいなルアー釣りセットを購入し、当時住んでいた三鷹の駅から中央線に乗って相模湖に流れ込む桂川へ何度か通った。
ウェーダーもない上に、真夏の真昼間。
ようやく手にしたのは、ブラックバスとウグイのみ。でもそれ以上に心地よい何とも言えない穏やかな時間を手に入れた。
東京に来て5年。バイトに明け暮れ、酒とタバコを覚え、必死に東京に溶け込もうと、都会人になろうともがいていた時期だったのかもしれない。
でもそんな僕を川の流れが遠い故郷の川へと誘った。
ようやくヒップブーツを手に入れ、多摩川に流れ込む支流で小さな宝石のようなヤマメを手にしたのはいつの頃だったのか。
その後、やっぱり上州屋でRYOBIのフライフィッシングセットを購入し多摩川に通った。でも実は多摩川で魚が釣れた記憶がない。都会のスレたヤマメたちは田舎者の僕がキャストするゴミみたいなフライには興味がなかったのかもしれない(笑)
でも学生の特権として、人の流れが新宿を目指す朝のホームで、奥多摩方面へ出かけるのはそれだけでワクワクしたものだ。
この時使っていたRYOBIのフライロッドは今も倉庫の中にあるはずだけど、7㌳5番の4ピースというバランスの悪いロッドだった。しかもフックキーパーがなかったりもした。
でもその頃は高いロッドに憧れるよりも、魚が釣れなくてもRYOBIを振っていればご機嫌だった。そんな気がする。