実は今年の春から晴れて一年生になる長男Shu。
もうすでにランドセルと学習机も揃えて準備は着々と進んでいる訳なんだけど、体ばっかり大きいわりに(身長125センチ体重28キロなり)、未だに一人で寝られなかったり、人一倍元気なんだけど、ことばが汚かったりと親としての悩みは尽きないのだ。
特にことばの汚さは最近頻繁で、とても笑って済むレベルではないことも。
昨夜もそのことでおいらの雷が落ちたばかり。
普段から子離れ出来ない親バカなおいらにとっても、父親という存在が「やさしいおとおさん」であるべきなのか「恐いおやじ」であるべきなのか色々と考えてみる。今までのスタンスは遊ぶときはやさしいおとおさんであり、でも時に怒ると恐い親父になるように努めてきたつもりな訳で、それはChiチャンも同じ。
でも最近は兄弟喧嘩が頻繁になったこともあって、恐い親父モードばかりが増えてしまった気がする。Chiチャンと二人、子どもたちが寝てからちょっと真剣に話してみるとChiチャンも同じように感じていたみたい。
それと共にShuがいつもふくれっ面になっている。良くないなあ~。
弟Ryoの最近の状態というものが、Shuに与えている影響というものも少なからずあって、母親を独占されている不満、喧嘩両成敗の筈なのに兄貴だけ怒られる不満、色んな彼にとっての不満が最近の行動だとは分かっているつもりなんだけどね。
同じことばでも、言う側の気持ちと受け取る側の気持ち、お互いの気持ちの持ちよう、そして口調で、がらっと印象が替わってしまうことばがある。
例えば「わかった」ということば。
「わかった」と言いながら心の中では「うるさいなあ」
「わかった」と言いながら心の中では「とりあえず返事しとこ」
「わかった」と言いながら全然分かってない
「わかった」と言われても心の中では「本当にわかってる?」
「わかった」と言われても心の中では「何だ今の言い方は」
「わかった」と言われても信用してない
コミニュケーションの手段であることば。でもそれは時に人を傷つけたりもすれば、人を救ったりもする。
Shuのことばの汚さは、おいらたち親が叱るとき、どうしても口調がきつくなることが一つの原因ではあるんだよね。反省してます。
よその小さい子には優しいお兄ちゃん。Ryoには正直な気持ちが出ちゃうんだよね。でもね、そこでちょっとそのことばを飲み込んでご覧。自分が言われたらどう思う?おとおさんには言えるかな?ちょっと一息、綺麗な空気を体の中に取り込んで、ちょっと優しいことばで言ってみよう。きっと喧嘩にならないよ。
こんな話を今度の休みにでも、スノーシューでもしてお茶を飲みながら話してみようかな。