今日も日差しが春の到来を告げている。
雪国は長かった冬から開放される早春が一番すがすがしい輝いた季節だと思うのだが、この時期いつも残念に感じることがある。雪は浮世の穢れたものを覆い隠してくれるとは良く言ったもので、実際雪解けが始まると人間のエゴというか、嫌な部分が露になるのだ。
今日も通勤の際、通った田んぼの中に数えられないほどの空き缶、ペットボトルが散乱していた。
最近そんな小さなことが許せなくなった。もし田んぼが他所の人の土地で(実際そうなのだが)、柵で覆われていたらきっとポイ捨ては減るだろう。誰だって人のうちにゴミを捨てたりまではしないからだ。
若い頃、スキー場でバイトしていた時、ある上司に言われたことがある。
「若いうちはなんでリフトに乗ってまで禁煙と言われなきゃならないんだと思うかもしれない。でも春雪が融けたスキー場に来てみろ。そりゃすごいもんだ」
何がすごいってリフト降り場下の吸殻の数である。おいらはそれを見てからリフトに乗っている時はタバコを吸わなくなった。そのぐらいびっくりする状態なのだ。
雪が積もっているうちは解らないし、気付かない。まさに臭いものには蓋をしろじゃないけど見えないって事は罪悪感が沸かないものなのだ。雪化粧という綺麗なことばがあるけど、化粧だけにいつかは落とさなくてはならないものである。
化粧を落としたときにその人の本当の美しさがわかる(と思う)ように、雪が消えたとき人間の本当の姿が見えるといったら言い過ぎだろうか。
あなたは自分が食べる米を作っている田んぼにポイ捨て出来ますか?